2002年7月
画家の眼で「伊吹嶺」に何かを書いてみてはと栗田先生からお話を頂戴したのは、いつ頃だったでしょうか。自分がやっていることを見つめる良い機会をいただいたのにもかかわらず、締め切りのある仕事が苦手で、つい意味なく時が流れてしまいました。「伊吹嶺」については最初からの読者で、それもかなり熱心に拝読している者と自負しておりますが、俳句をつくったことは殆どありません。
絵を描くということは、最初はとにかく自分の眼でものを見ることから始まります。この自分の眼というのは、実際に眼の前に繰り広げられている物事を、正確につかみ取るようにみる眼ということと、その物事を通して自分の内なる心の眼で見て深く感じる、考えるというような意味合いがあります。美術をやる場合、デッサンや写生から始めるというのは、そういうことを実際に手を動かしながら確かめ、またそれを表現していくためのものなのです。
長い間、見える世界と思考する内面の世界を行き来するということをやっていると、美術品に限らずどんなものでも、そこまで行って自分の眼で見ないと気がすまなくなってきて、あちこち出掛けては沢山の本物にふれてきました。
実物を見て感動した絵画の一枚に、ベルギーのヘントという町の聖バーフ寺院にある、ファン・エイク兄弟が十五世紀に描いたとされる、両翼をもった複合祭壇画の大作があります。画集で見て、その作品の迫力をあれこれイメージしていたのですが、実物を目の前にしたとき、その想像をはるかに越えた画家の力量にふれ、人間の創造力、創作する力、高い精神力をその作品から見たのでした。この感動は幸福感というものに通じるようなもので、作品と自分がここにある幸せで包まれました。絵画作品を見る場合、テーマや、実際の構図や配色について語られがちですが、この作品にはそういうことを超越した求心力が画面に満ちあふれているのです。弟のヤンはその後も、十五世紀の北方美術に残る作品を残していますが、それらの作品には署名の他に「私に能うる限り」という言葉を記したといわれ、視覚的世界のリアリティーの再現と精神世界の融合を成し遂げようとした画家の強い意志が感じられます。
現代は技術が進み、パソコンやビデオや写真で実に美しいものを見ることができますが、本物の持つ存在感は何にも代え難く、それが存在している状況も含め、そこに立ち会って見るという感動は、自分の目で見るという当たり前の行為のなかでも、最も贅沢なものなのかもしれません。
2002年8月
陰影
夏の熱く強い日差しを受けると、日陰を探してしまいます。なるべく木陰を選んで歩こうと気を使うこの頃ですが、道に落ちる建物や植物や人々の影を見ていると、影の不思議さについて、つい考えてしまいます。
デッサンを描くときに、立体感とか空間感を表現するために、取り敢えず陰影を入れてみるということをします。そうすると、ただの丸い形が急にボール状の立体的な球体に変身し、次にそのボールが落とす影を描き入れるとそれが台の上に置かれているようになり、それらの状況を陰影が説明してくれるということになります。
陰影とは「陰」と「影」とのことで、どちらもなのですが、ある立体物が存在するからこそできる、光の当たらないところにできるカゲを陰(shade)といい、立体物が台や地面に落とす影法師のようなカゲを影(shadow)というということを、図学という図法幾何学では理論的にそのように説明しています。かつて、世界最大の建造物であるエジプトのピラミッドを見に行ったとき、射すような強い日差しを受けて堂々と砂漠の上にそびえ立つ巨大なピラミッドに圧倒されつつ、四角錐の一面にできている陰と、砂の上に落ちている影を見て、まさに陰影の見本のようだと思ったことがありました。
日本の「やまと絵」といわれる源氏物語絵巻などに代表される絵には陰影というものが殆ど描かれていません。形と色彩で描かれたそれらの絵は、例えば、複雑で微妙な曲面で出来ている人間の顔を描く場合でも、輪郭線の強弱だけで目鼻立ちや表情や年齢まで表現してしまっています。陰影が描かれない画面は色面構成的で平面性を感じ、時が止まってしまっているような静かな印象を与えます。古い時代の日本の絵画が西洋のものと比べると表層的あるいは装飾的といわれるのはここらあたりのことをいっているのだと思います。それに比べてヨーロッパの十四世紀以降の絵画では、遠近法という考え方で、空間を見えた通りに描く方法を生み出してからは、光と陰影というものを巧みに使って、まるで舞台でスポットライトを浴びているような劇的な場面や、また逆に物静かな静謐な画面をつくるようになりました。
陰影をつけるかつけないかという絵の描き方の違いが、日本と西洋との思考の違いを考える上でひとつのヒントになることではないかと思います。
2002年9月
作品の大きさ
雑誌やテレビなどで見る風景や場面を、漠然とこのくらいの広さではないかと想像しながら見ているということがよくあります。ところが実際にそこに行ってみると思いのほか狭かったとか、予想に反してとても大きかった、広かったということが度々あります。
西洋絵画で最も有名な作品といわれ、私達にも馴染みの深い「モナリザ」はどのくらいの大きさかという質問をしてみると、ほとんどの人達が実物よりも大きなサイズをあげます。中には二×一メートルと言う人もいます。絵に関心のない人でもモナリザという絵があることを知っていますし、モナリザほどいろいろなところに登場する絵はないのではないかと思います。たとえばポスター、看板、テレビコマーシャル、ファッション、各種のパロディー、文具等に使われ、時代や地域を超越し人々を引きつけている作品です。さて、そのモナリザの大きさはというと、77×53センチ。板に油彩で描かれたものです。実物を見た人は一様にあんなに小さい絵とは思っていなかった、といいます。
モナリザは今から約500年前の1502-6年にかけて、レオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンツェの織物商ジョコンダからの依頼で、その妻のリザを描いたものというのが通説で、結局依頼主の手に渡ることなく生涯レオナルドが持ち続け、死後フランス国王の手に渡り現在に至っています。その間にモナリザは損傷がひどくて左右数センチを切り落とされていますので、描かれた当時よりはさらに小さな絵になってしまっています。日本には1974年に文化庁の要請でパリのルーヴル美術館から貸し出され、48日間で150万人が鑑賞し、その記録は、会場となった東京国立博物館の歴代特別展の入館者数第一位の座にいまだに輝いているほどです。モナリザの魅力は作品が醸し出す静謐な雰囲気、深遠な背景、そしてなんと言っても、あの女性の姿と顔の表情です。
ではなぜ、小さい絵だといってもいいその作品は、多くの人に実物以上の大きさを感じさせるのでしょうか。それは絵画の魅力とは何かということに通じるものだと思います。限られた平面に、無限のイメージが膨らみ、作品をみる人を、想像の世界へと果てしなく誘ってくれるからでしょう。その心象が何層にも織りなされ絡み合ったとき、人はその作品に心を奪われ、また感動し、目の前にある実際の大きさ以上の広がりを豊かに感じるのだと思います。
2002年10月
現代美術の国際展(1)
この夏、昨年に引き続く猛暑の中、ドイツに展覧会の取材で行って来ました。私が訪れたのはフランクフルトから北に超特急で約一時間半の、メルヘン街道の途中にあるカッセルという中都市です。日本を発つときに、今日はこの夏最高の気温が予想されるというニュースを見て行ったのですが、向こうの空港に着いたら気温は十九℃で拍子抜けしてしまいました。
カッセルでは街をあげて、今年11回目となる、五年に一度の「ドクメンタ」という現代美術の国際展が夏の三ヶ月間にわたって開催されました。現代の世界の美術の動向が見られる、歴史あるその展覧会は、世界中の美術関係者や美術ファンが心待ちにしているものです。私も過去に二回見ているので、三回目ということになるのですが、その展覧会を見るとすぐまた次が見たくなるというような、他の国際展では味わうことが出来ない魅力的なものです。
現代美術の作品の展示は、現代の美術表現が多様になってきたことから、実に様々な空間を使い、異なる形式で展示されています。このドクメンタも街をあげてと書きましたが、ドクメンタ専用の会場、市の美術館、駅舎、宮殿のような姿をした昔温室だった建物、またその前に果てしなく広がる広大な前庭、川縁、図書館、商店街、地下街、下町の一角、ビール工場、など様々な場所で、その会場をバスや船が鑑賞者をピストン輸送して行われます。
そのような会場のあちこちには、現代の、またこれからを予測する美術作品が展示されます。この展覧会には、毎回違う企画責任者が指名され、今回初めてアフリカ出身の企画者が、作家の人選から作品の選定まで執り行いました。その結果、今まで見てきた国際展に出品されてきた作品とはかなり異なる、世界の多様な民族、地域を感じさせる傾向の強いものとなりました。
近年、美術展といっても、映像作品が大多数を占める傾向にありますが、今回の作品の多くは、映像で何か新しい表現は出来ないものかという美術家からの発想というよりも、あるがままのドキュメンタリーとでもいうか記録映画風な作品が目立ちました。アフリカのある地域の生活や、エスキモーの生活などを題材として、欧米以外の普段見慣れていない世界へ目を向けさせる手法が新しい動きでした。それらは、美術作品の評価の基準とその内容について、欧米中心の視点に慣れた私達に、疑問を投げかけているように思われました。
現代美術の国際展(2)
先月号に引き続き、ドイツで行われた世界最大規模の「ドクメンタ」展のあり方と魅力についてふれてみます。
日本では昨年初めて、本格的な現代美術の国際展「横浜トリエンナーレ」が開催され、横浜市の見本市会場、港の倉庫、ビルの外壁、街路等いくつかの会場を使って行われました。それをご覧になった方は、そういった美術展がどのようなものであるのか想像しやすいと思いますが、今や国際展というのは、伝統あるヴェネチアビエンナーレでもそういうスタイルを取るように、世界中から選ばれた最新アートの作品を、街を美術館に見立てて、発表するスタイルをとっています。
ドクメンタ展が他の展覧会と違うところは、地方行政が出資する、ドクメンタ有限会社という組織が企画運営するという点です。さらに国が継続的にバックアップして伝統が作られてきました。そこには哲学と芸術を愛し、環境問題にも熱心に取り組むドイツというお国柄が感じられます。
今、世界で最も新しい作品の発表というと、ニューヨークやロンドンのような世界の情報の発信地の方が会場として相応しい様な気になりがちですが、なだらかな丘や林が続く長閑なカッセルという街で、現代を表現する作品群と向き合うことは、都会の喧噪の中で鑑賞するよりも、一点ずつの作品に意識を集中することができる良さがあり、じっくりとその作品の意味を考える上で貴重な都市空間と言えると思います。
今回新たに、ビール工場として使用されていた古い建物が会場に加わりました。外観に趣が感じられる煉瓦造りの大工場は、新しい美術を展覧する場として生まれ変わりました。市の中心から少し離れたその場所へは、他の会場からバスに乗るか、街のはずれを流れる川を利用して、この展覧会用に仕立てられた専用のボートに乗って行きます。その船着き場には世界中から来た人が集まり、各国語が飛び交い、まるで小さな国際港のような感じさえあります。
出品作は、今回はとりわけ国際色豊かで、多様な表現故に、特にこの一点というふうに優れた作品を挙げるのは難しく、あらためて「見る」という視覚芸術の世界の広がりと変化、視点の多さなどを再認識させられました。ものを「見る」ということはどういうことなのか、実際に見えるものの世界だけではない、深い思考の世界と、この今という現代を同時に見ることで、今までになかった表現が生まれるのではないかと、新たな希望が持てる展覧会でした。
ヨーロッパの美術館や教会を歩いていると、キリスト教に関する「受胎告知」や「最後の晩餐」をテーマにして描かれた作品に数多く出会います。同じタイトルがついた絵でも、それぞれが全く違う印象にみえるのは、テーマへの画家の解釈、描かれた時代、美術の様式、風土などが関係しているからです。それらの作品の中でも特に知られているのが、「受胎告知」では画僧フラ・アンジェリコが、1438-45年にフィレンツェの聖マルコ修道院壁画として描いた作品。「最後の晩餐」では、レオナルド・ダ・ヴィンチが1495-97年にミラノのサンタ・マリア・デル・グラッツェ教会の食堂壁画として描いた作品です。
「受胎告知」を例に挙げると、このテーマは、マリアのもとに大天使ガブリエルがやってきて、あなたは神の子を身ごもりましたと告げる場面となっています。登場人物はマリアと天使だけという実にシンプルなものなのですが、それぞれの画家の解釈によって、お告げの場所の設定の仕方、その場所を見る画家の目の位置、マリアと天使の人物表現や衣装のデザイン、光の射し方、マリアのとまどいの表情、持ち物などの違い、さらには二人の会話を絵の中に文字として入れる手法などまでがあり、一点一点の作品がかなり異なる印象の絵になっています。
表現というのは自由なものですが、このように描こうとするテーマが決まっている場合は、その作品の中に描き手の個性をよりいっそう出そうという意気込みのようなものが感じられます。それは取りも直さず画家のテーマへの解釈の仕方に表れるもので、それがその画家の個性というものになるのです。初期キリスト教の時代から十五世紀ぐらいまでに、「受胎告知」の画面の中には、マリアと天使以外に聖霊の鳩が登場したり、百合の花が象徴的に配されるようになります。マリアは、聖書の他にそれぞれの画家の解釈により、糸巻きを持ったり、泉水を汲んだり、本を持ったり、胸に手を当てたりしながら優しく厳かに天使に対峙しています。
ひとつのテーマが時代や地域を越えて描かれるということはこれらに限らずあるわけですが、解釈の違いが表現の違いになり、みる人をより豊かな表現の世界に誘ってくれます。同一テーマの作品を見くらべることは画家の違いがわかるだけでなく、画家がそのテーマをどのように解釈したかということがわかってきて、細部の表現にまで惹きつけられていき、ますます絵画鑑賞の興味がつきません。
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