点景
2004年1月-


2004年1月

一月の画廊

 毎年新しい年を迎える頃になると、年の暮れの喧噪も手伝ってか、なんとなくそわそわします。振り返った一年にやり残したことが沢山あるような、また、来る年にやりたいことが山積しているような焦る気持ちです。それもこれも自分で勝手に思っているだけなのですから、そんなに自分を窮屈に、あれもこれもと思わなくてもよいのではないかとも思うのですが、毎年一年が終わる頃になると自分をそんな考えの中に追い込んでいってしまいます。それなのに、お正月が来て三が日も過ぎると、すっかりそんなことを忘れて、普段とまったく変わらない生活をしているのですから、しょうがない性分だと自分でも思っています。
 そのような気持ちで始まる一月ですが、毎年楽しみにしていることがあります。芸術は、芸術の秋とよく言われ、秋になると大きな美術館では、企画が充実した良い展覧会を開催し多くの人を集めますが、年の始めの一月には、美術館ではなく画廊が見応えのあるよい展覧会を催します。おそらく日本で一番画廊がたくさん集まっているのは東京の銀座だと思いますが、表通りばかりではなく、裏通りのビルの地下や上階など数え切れないくらいあるその画廊を何軒も見て歩いて、それぞれの画廊が力を入れている作家や作品を見ると、さあ今年も美術の事を考えていきたいと力が沸いてきます。各画廊では、取り扱っている得意分野があって、現代の日本画だったり、少し前の油絵だったり、新しい現代美術だったりしますが、それぞれのジャンルで良い作品を美術館とは違って気ままに見られるのです。
 とかく画廊というと入りにくいとか、入っても作品をどう見たらよいのか、画廊の方や作家本人に声を掛けられたら何を話したら良いのかわからないとかいわれますが、まったく構える必要はありません。作品を見るときの最低のルール、例えば飲食をしながら入らないとか、作品に触らないとか、大声を出さないとか、長い傘を持ち込まないとか、何処に行っても普通のルールだと思われるようなことを守っていれば、ふらっと気の向くまま入って、堪能してくることができます。外は寒い季節ですが、画廊の中は暖かく、それぞれの作品が新しい年に相応しいような感じで力強く語りかけてくれるような気がします。
 何となく気ぜわしかった年末年始の時間から解放され、美術作品と対峙する時、美術家一人一人の魂からの表現に触れ、新しい年が良い年であってほしい、良い年にしたいと、歩く足取りも自然に軽やかになって行きます。

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2004年2月

印刷術の発展

 活版印刷術は、ドイツのグーテンベルクによって十五世紀に発明されました。鋳型によってひとつずつ活字を鋳造し、プレスの印刷機を考案して、主に聖書を印刷しました。なかでも四十二行聖書といわれるものがその技術を伝えるものとして有名です。フランクフルトの近く、ライン川とマイン川の合流点である出身地のマインツには、グーテンベルグ博物館があり、印刷関係資料や、貴重本、珍本などが歴史を追って紹介されています。
 コンピュータが発明されて以来、今や家庭でもパソコンに向かって印刷原稿が出来てしまうくらいになって、活版印刷で刷られる趣のある本は殆どなくなってしまいました。しかし、グーテンベルクの偉大な発明で、後の五百年は印刷という考え方が世界を大きく変革していったのでした。複製化される印刷術が社会にもたらしたことは、単なる印刷技術のみではなく、社会の枠組みを根底から変えることになりました。それまで聖書や書物は、一文字ずつ手で書いた写本というもので、一冊の本を完成させるのに、膨大な労力と時間が費やされました。活版印刷術が出来たことで、当時は、本の値段が千分の一になったといわれ、知識が手に入りやすいようになり、それがヨーロッパ文化を広く世界に定着させることとなりました。その頃ドイツでは、文字ばかりの本に挿し絵の需要が高まり、版画家であり画家でもあるデューラーが活躍します。
 その後、十八世紀後半以降に起こった産業革命で、それまでは特別な人達のものであった音楽や美術が、そのような技術革新によって、市民社会に入り込んで、より多くの人々が芸術を享受し支援するようになります。十八世紀にイギリスで始まった万国博覧会も、中心をパリに移し、人々に世界を認識させました。始めは日本から送った陶磁器の梱包の中にパッキン代わりに入っていた刷り損じの浮世絵が、その存在を認められて表舞台に出て、後に印象派の画家と呼ばれるモネやルノワールなどの画家達に多大な影響を及ぼし、ジャポニスムとまでいわれるようになります。その浮世絵も元をただせば原画の複製でした。
 このように、印刷という複製化は、音楽を楽譜からレコードやCDに、文学を印刷書籍に、美術では最近のメディアアートのようにコンピュータを駆使してDVD化したものなどに展開し、活版印刷は殆ど姿を消してしまっても、印刷文化は新しい時代に対応して人々が求める複製化へ発展を続けていっています。


2004年3月

火星の映像

 新年早々NASAからの発表で、火星に探査車スピリットが無事着陸したというニュースが流れ、モノクロームの映像が映し出された時には、気分はすっかり宇宙に飛び、太陽系を俯瞰するイメージ映像が頭の中に現れました。一九六九年にアポロ十一号が史上初の有人月面着陸をしたときのライブ映像は今でも鮮明に残っていますが、火星着陸の成功はこれで4度目だそうです。この探査車は、昨年の六月に打ち上げられ、七ヶ月もかけて宇宙を四億九千キロひたすら飛行し、かつて生物が生存した時代があったかという証拠を探すとのことです。私達の日常からしたら、それはとてつもなく遠い出来事であり、想像を超えた時間ですが、今後の調査・研究が楽しみなところです。
 そしてその何日後かに、今度はカラー映像が送られてきたのを見た時、かつて感動して強烈に印象に残っているある映像作品が思い出されました。九六年秋にパリ市の芸術祭で発表された、世界的に活躍しているビデオアーティストのビル・ビオラの作品です。会場は十三区にある病院の敷地内の比較的大きな教会でした。高い天井から観客の目の前に垂れ下がった大きな布状のスクリーンに映し出された映像では、背景が宇宙空間のように暗く、起伏のない荒涼とした大地の地平線の彼方から一人の男がこちらに向かってゆっくり歩いて来るのです。目の前で立ち止まった途端に、そこにぽつりぽつりと水滴が落ちてきて、それがだんだんと音と共に信じられない豪雨に変わり、やがてその雨がやんだ後には、男の姿は無く、元の荒涼とした大地が実に静かに広がるだけというものです。私はこれを漠然と月の表面だと想像しながら見ていたのですが、火星のカラー映像を見た途端に、あれは月よりも遠い火星の大地をイメージしたものではなかったのかと思うようになりました。
 表現者は時代と共に、また時代の先を行くと言われますが、その映像を見て七年以上も経ってから、別の国際展などで発表されたビル・ビオラの作品も、初めて理解できたような気がしました。

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2004年4月

町を歩く

 誰でも、子供時代を過ごした土地の風景は心の深いところに焼きついて、特別な場所になるのだと思います。私が育ったところは、山あり川あり海あり温泉ありという町だったので、四季折々いつでも何処へ行っても何かしら新鮮な発見があり、毎日が冒険旅行みたいなものでした。自分の足で、昨日よりも少し遠いところまで歩くことで、次々に世界が広がる感覚を、子供ながらにとても心地よく思っていたような気がします。
 今でも初めての町を歩いたりするときにはその感覚が蘇り、何か心ときめく風景を見ることが出来るかも知れないと、敢えて角をひとつ曲がったりすることがよくあります。自分の日常と少しだけ違う、生活を感じる場所を歩くことで、ある種の緊張感と好奇心が頭をもたげ、普段なら見過ごすものにも気が付いて、風景が新鮮に感じられます。
 見知らぬ町では、心が弾むような風景に出会うことがあります。特に複雑だったり、曲がりくねったり、狭い坂道だったり、路地だったりする方が、興味をそそられ、気持が動きます。商店が集まる繁華街でも一本二本と裏通りに入っていけば普通の民家があり、そこには人々の生活が営まれています。固く閉ざされた門や玄関からは、中の住人の生活は見えませんが、それでもうかがえる家の形から、そこに住む人の生活ぶりや趣味や職業を想像すると、頭の中で限りない物語が出来てくる楽しみがあります。また、複雑に入り組んだ路地に入れば、僅かにある日溜まりで、とびきりのんびりした表情の犬が昼寝をし、どこからともなく人が出入りして、声を掛け合い、犬の世話をし、鉢に植えられた植物に水をやりという情景が見られ、まるでドラマの一シーンを眺めているようです。
 このように、見える風景を自ら変えることで、どうしても見慣れた風景の中では、見ながら感じるということをしなくなってしまっている目を、見ることに集中させるよう、自分に課しているのかも知れないと、近頃町を歩いていて思うのです。

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2004年5月

晴れた夜に

 このタイトルは、私の作品のある一枚につけたものです。今までに制作してきた作品の中で、自分にとっては特に忘れられないものの一枚がこの作品です。私の場合は抽象作品なので、タイトルをつける場合、出来上がった作品をじっくりと見ながら、自分の思いをこの作品に込めることができたかどうか確かめつつ決めていくというやり方でつけています。作品は自分なりのテーマがあって情熱を込めて制作しているつもりですが、出来上がった作品に新たな気持で対峙すると、当初自分が思い描いていたのとは違ったものに見えて来ることがあり、そこで気分を切りかえて、作品に向かい合っています。
 ところが、この「晴れた夜に」という作品は、ある晩秋の清々しい朝に、家の前の急な坂道を上り、澄み渡った美しい青空を見上げた時に、こういうタイトルの作品がつくりたいと、何故だかふっと思い、その日から一気に制作した小品でした。この作品に関しては先にタイトルありきだったのです。自分でもこの作品の出来上がりには満足がいくものがありました。そして、その年の暮れの銀座の画廊でのグループ展に出品しました。初日の早くにいらしてくださった、私の作品のコレクターのお一人が、すぐに購入をしてくださったと画廊の方から伺い、作品に込めたことが通じた様な気がして、心の底から嬉しさがじわじわと湧き出て来る思いがしました。この方は、初期の私の個展にふらっといらして、画廊を一巡してから、迷い無く「これを」と言って、作品を購入してくださり、それ以来、折に触れ励まし続けてくださり、継続的にコレクションをしてくださいました。
 大きな月が夜を明るくし雲ひとつなく星もたくさん出ている晩には、作品が辿る運命みたいなものを感じながら、あっけなく自分の手から離れていってしまったあの作品のことを思い出し、「いい作品です。」といわれるようなものを創らなければと心静かに晴れた夜空の遠くに目をやって考えています。

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2004年6月

俯瞰する風景

 このところ、東京のあちこちの高層ビルの展望室とか東京タワーとかに上る機会があり、じっくりと東京の街を高い所から見渡してきました。俯瞰した街からは、人間の営みを圧倒的に感じつつも、そこには無感情にも見える世界が広がっているようにも思えました。
 風景を俯瞰するといえば、平安時代からのやまと絵に描かれた、特徴的な空間の描き方があります。高いところから全体を見下ろすという視点は、例えば源氏物語絵巻では、吹抜屋台という考え方で、建物の屋根を取り払ったと仮定して、上の方から室内をうかがうように描かれています。そうすることによって、部屋の空間や登場人物同士の関係がはっきりして全体を捉えやすくなり、特に説明的な要素がいらなくなります。信貴山縁起絵巻などに代表される説話絵巻はさらにそれに時間的な経過が加わり物語がスムーズに展開いていくという手法をとっています。
 西洋で確立した遠近法は、画家の視点が、描かれる空間の中にあるため、現実的で正確な奥行き感は出せるものの、素直にその空間を描いてしまうと、絵画として面白みがないものになってしまうので、様々な工夫がされています。良く知られているレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」では、奥行きの深い室内には、その方向に長テーブルを置くというのが自然な配置だと思いますが、そうしてしまうと十三人の登場人物が殆ど奥行き方向で重なってしまい、あの劇的な場面は表現できないことになりますので、現実の室内空間から考えるとまったく不自然なテーブルの置き方ですが、まるで舞台の演出のように、画面の手前に横長にテーブルを配置して、登場人物をそのテーブルの向かい側に座らせて全員の細かい感情表現が見る人に伝わるように描いています。
 日本の空間の見方のように、すうっと高みに身を引いて全体を冷静に眺めるか、西洋のように自ら空間の中に入って行って、見えたものを再構築するか、どちらもなかなか面白い考え方です。

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