点景
2004年7月-


2004年7月

クロッキーブック  

 俳句をなさる方が、俳句手帖を持たれるように、私もいつも小さなクロッキーブックを持ち歩いています。電車の中などのちょっとした時間に思いついた言葉をメモすることもありますが、殆どはその時々で、こんな作品はどうだろうと簡単なスケッチを鉛筆で気軽に描いています。同じようなものを何ページにもわたって繰り返し描き、微妙な構図の違いを検討したり、細部をじっくり考えたり、時には色をつけて考え込んだり、前の方のページを開いて、ああそうだった、 この頃はこういうことを考えていたのだと確認したりと、これは私にとっては作品制作のよりどころとなる大切なものです。持ち歩いて表紙に貫禄がついたものを、古い順にアトリエの棚に大切に保管してあります。時々考えに詰まって、作品がその先に展開していかないときには、過去のものを取り出してずっと眺めていることがあります。画家が作品に向かっていくやり方は、人それぞれだと思いますが、私にとっては、この積み重ねが、次の作品を生むために特に必要だったように思います。
 以前のものはあまり意味がないかというと、そのようなことはなくて、古いものを見てみると、現在と同じようなことを考えていて、あらためて堂々巡りをしている自分を発見しますが、考えが発展していないというより、自分の興味が変わっていないこと、着目点が変わっていないことがわかり、そうだ、やはりこの方向で進めようと、古いクロッキーブックに後押しされることもあります。
 他の人が見たら、どのページもなぐり描きのようにみえて、ここから作品が生まれてくるようには見えないかも知れませんが、本人にとっては、それぞれのページには、そこに描いてある事以上のイメージがかぶっていて、それが何年たっても思い出され、今の自分を刺激してくれます。  時間がなくて、実際にアトリエで作品に向かえないときでも、ページを開いて眺めたり、スケッチしたりして、制作に対する意欲が落ちないように気分調整をする役目もこのクロッキーブックは大いに担ってくれています。

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2004年8月

形のプロポーション

 今年はオリンピックの年で、特に今回は、ヨーロッパ美術の美の規範をつくったギリシャ美術の発祥地で行われるので、競技のテレビ中継の合間に、アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿などが映るのではないかと、楽しみにしています。
 ギリシャ彫刻は、紀元前の当時、千年間くらいを掛けて実に見事に発展して行きました。始めは直立不動で感情表現が無かったものが、次には形に表しにくい、目に見えない人間の内面や感情をアルカイックスマイルという微笑みを生むことで表現できるようになり、そして手や足や腰にポーズがついて、人間らしい自然な動きがつくられるようになり、さらに彫刻本体だけにとどまらず、その作品が置かれることによって、その場の状況や空気や風までも表現してしまうという発展を成し遂げました。パルテノン神殿破風についていた大理石彫刻の三美神は、現在、大英博物館所蔵ですが、その圧倒される量感と表現力には何度みても感動します。
 当時のギリシャ人達は、全体のバランスとか人体のプロポーションとかに敏感に美を見いだし、建築物でも彫刻でもその様な考え方を造形に取り入れていきました。高貴で崇高な表現には1対1.618の黄金比を、もう少し一般的に好まれる形には1対1.414のルート2の比率を好んで用いました。このルート2矩形は半分にしてもそれがまたルート2矩形になるという素晴らしい規則性を持ち、現代の洋紙の規格比率に用いられ、世界で重宝に使われて、私達には非常に身近なプロポーションと言って良いと思います。A4とかB5とか言って使っているコピー用紙などがまさにその比率で出来ています。因みにこの『伊吹嶺』もA5サイズの美しいルート2矩形で出来ています。
 何千年も前に考え出された美しいプロポーションは巡り巡って東西を問わず現代の私達の生活の中に受け継がれ、便利でもあるし、目にも心地よい安定した形として、広く好まれています。

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2004年9月

制作過程

 成田へ作品を搬入し通関の手続きをしてきました。これからロサンゼルスでひと月ばかり個展を開くため、作品を送り出したところです。
 振り返ると、今年は年の初めから、あらゆる神経をこの個展のための作品制作に注ぎ込んできました。季節は冬から春、そして猛暑の夏になりました。その間、日頃の運動不足がたたり、膝に水がたまり、痛みで歩行困難になり、すぐあとに五十肩もやってきて、作品パネルの持ち運びに不自由し、まさに手も足もという中、おまけに愛猫まで体調不良になり、時間的ゆとりがないときに限って病院通いが出てきたりしました。アメリカとの打ち合わせのやりとりは殆どがメールで行われましたが、制作の合間にパソコンに向かい、異文化コミュニケーションの難しさを痛感し、精神が鍛えられました。夏になる頃には、まだ作品が完成していないのに、案内状やパンフレットの作成の相談で連絡が行き来して、スケジュールをやっとこなしていました。
 そのような中、制作は遅々として進まず、毎晩アトリエで作品と対峙しては、どうしたらこれをもっと良くすることが出来るかと悶々とした時間が流れていきました。
 新作をいつも楽しみにしている私の母は、そろそろ作品が出来上がるという頃になると、嗅覚が働くのか、突然アトリエにやってきて、「今度のはまた一段といい。」と言って、まるで太鼓を打ち鳴らすように娘の作品を褒めまくり、すっと帰っていきます。若い頃はこれが鬱陶しかったのですが、今ではそれをきっかけによしこれで仕上げようと思えるようになりました。
 こうやって、作品を仕上げていく裏には様々な事情や出来事があるのですが、作品はそういう事をいっさい語らず、ただそこに存在するだけです。昨日まで所狭しとあった作品が出て行ったがらんとしたアトリエで、これから本番がやっと始まる異国での個展に思いを馳せ、もうどんなことがあっても言い訳がきかないという緊張感と、発表できる嬉しさを感じています。

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2004年10月

青い空

 よく言われるカリフォルニアの青い空というのはどのような青なのかと、一度見てみたいと思っていました。個展などを含めて何度かロサンゼルスには行ったことがありましたが、いつも季節は秋で、確かに広い青空を見ることが出来るのですが、なんとなく薄く何かがかかっていて、これはよく語られるそれとは違うものなのだろうと思っていました。今年、夏の一ヶ月間、ロサンゼルスで個展を開催した関係であちらに滞在し、やっと、本当に美しい、カリフォルニアの濁りけのない澄み渡った健康的な青い空を見ることが出来ました。それは、私が見たことのある何処とも違う青い空で、肌で感じる乾いた空気と、広がりのある広い街と建築、あちこちに見られるパームツリーと一体となり、ここでしか見られない個性のある開放的な風景をつくり出していました。
 誰でもそうであると思いますが、普段から何気なく空を見上げ、天気を気にしたり、夕日が美しかったり、雲の形が面白かったり、たまには虹を見られたりと、日々の生活の中で、見上げる空模様は、私達をふっと立ち止まらせ、何かを与えてくれるものですが、青空もまたその地域独特の青という色を持っていて、それらの風景とマッチしているように思います。
 私は青い空というと、日本の真冬の晴れた日に見られる、凛とした青空を思い出すのですが、以前に冬を過ごしたフランスで、青空が出ない冬というものがあるということを知りました。日照時間の短い日中は、くる日も空を厚い雲がどんよりと覆い、その漂う空気の重さに心までも押しつぶされそうになる体験をしてからは、青空がどの季節にも微妙な表情の変化で見られる日本というのは、なんと良い国なのだろうと思うようになりました。
 もちろん地球上には晴天ばかり続き、雨を期待する地域も多くあるわけですが、空の青さが私たちに与えてくれるある種の開放感と清浄な空気は、どの地域でも人々が心の何処かに求める特別なものであるのではないでしょうか。


2004年11月

補色

 車線変更禁止の黄色い線を何気なく見ながら車を走らせていて、ふっと視線を上げると、フロントガラスに美しい紫の線が一瞬すーっと現れることがあります。鮮やかな赤色の上着を着ている人と向かい合って話していると、目をそらした瞬間に、そちらの方にジラッと緑っぽい固まりが動くことがあります。別に未確認物体を見たというわけではなく、写真を撮ったときのストロボの強い光線に眼が眩む時のような、光の残像のような感じのものです。
 この現象を、色彩学では「補色残像」といいますが、では補色とは何なのでしょう。一般的な説明では、色相環の正反対に位置する関係を補色といいますが、具体的に挙げると、黄色と青紫、赤と青緑、橙と青というような関係になります。数ある色の組み合わせの中で、特にこのような色の関係だけを取り上げるのには訳があります。
 人間の眼は、あるものを見ると、網膜に映り、視神経によって大脳に運ばれ、はじめてものが見えたことになります。普段は身の回りの様々な色をいっぺんに見ているので残像のようなことは起こらないのですが、ある強くて鮮やかな色だけを見ると、時間がたつと脳が指令を出して、その補色を作りだし、見てる色にかぶせて、視神経を疲れさせないようにします。脳の中で、時間を掛けて作られた色は、なかなか消えないので、先ほど見ていた色が無くなっても、眼の中に残り、それを今度は残像として見ていることになってしまいます。その相乗効果によって、いっそう強くて鮮やかな配色になります。
 グリーンサラダに赤いトマトを入れるとか、赤茶系のお肉料理にパセリやクレソンなどの緑を添えることで、お互いの色彩が生かされ、美味しそうに見えるというのは補色の力を借りた効果的な配色というわけです。
 絵画の場合も、その補色配色を意識したり、特別しなくても、その相乗効果が表れている作品がたくさんあります。色は無限にありますから、生活の中で、たくさんの色に気づいていくと、その魅力に吸い込まれていきそうです。


2004年12月

紙漉場

 昨年の十二月中旬、栗田先生ご夫妻から、かねてよりお誘いを受けていた、美濃の紙漉場に、句会の皆様とご一緒させていただきました。それは、私が紙を素材にして作品を制作しているという、ご配慮からのお心遣いでしたので、喜んで参加させていただきました。その日は、それほど寒くはなく、朝から良く晴れ渡っていて、句会の皆様には初対面にもかかわらず、ごく自然に仲間に入れていただき、充実した丸一日を師走の慌ただしさも忘れて、ゆったり和やかに過ごさせていただきました。
 和紙は、楮や三つ叉の繊維から作るのですが、お訪ねした紙漉場の前庭には、立派な三つ叉の木がありました。始めて本物を見たので、見事にすべての枝が数理造形的に三つ叉になっているその形の法則に感激しました。昔の人たちは、この木と冷たい水を使って、気の遠くなるような細かい作業を重ねながら、しなやかで美しい丈夫な紙をよく作ったものだなと、人間の物を作り出す創造力と忍耐にあらためて感心しました。
 その日が正式な吟行だったのかどうかよくわかりませんが、実は、伊吹嶺で「吟行」という文字を見かける度に、「ギンコウ」という音の響きが振動するように頭の中に出てきて、いつの季節にでも、あたりの風景に自分を解放させて感性と想像力で創作の世界を歩く、なんていう勝手な映像まで脳裏に浮かんで憧れていました。
 当日の皆様は、絵を描く者が、外で簡単なスケッチをするのと同じように、見て歩きながら、熱心にメモを取られたり、その場の感じを心にしまわれていらっしゃる様子で、漉き場では質問されたり、熱心に見学されたりして、これがいつか熟成して句になるものなのだなと思っていました。
 最近では、日常に繰り返される物事を、端から忘れていくのですが、あれから一年経った今、その日、自分の眼で感じた一連のことを思い出すと、実に鮮明な記憶で残っていて、次第に発酵している感覚が感じられます。いつか私もそれらが熟成して作品に反映されてきそうです。