2005年7月
朝からアトリエにこもって仕事をしていた静かな日曜の夕方、いつもと変わらない音で電話のベルが鳴りました。
その女性の声は、聞き覚えがあるのですが、一瞬誰だろうと思っていると、「T子です。」「まぁ、どちらからですか。東京にいらしているのですか。」「いいえ。ドイツからよ」、そのあとは、国際電話だということも忘れ、話したいことが次々に出てきてしまいました。それでもたりなくてメールアドレスを伺ったので、早速、電話をいただいてどんなに嬉しかったかと長いメールを打ちました。
T子さんは、三十年前、私が二ヶ月ばかり夏のドイツに一人旅をしたときに、フライブルグ(黒い森といわれる地方の南端で、スイスのバーゼルに電車で三十分くらいのところです)でお世話になったヴィオラ奏者の方です。ご主人はドイツ人で、大学で教える傍らチェロの奏者で、しばしば演奏旅行で日本にもいらしています。私が伺った時には、ハイデルベルクに住んでいたご両親も加わり、ドイツについていろいろなことを教えてくださいました。そしてそこを拠点にドイツ国内を歩き回り、スイスに行ったり、フランスに行ったりして、大都市では見られない、ドイツやフランスの美術を数多く見て回りました。
当時はリンゴの木が前庭に植わっているお宅でしたが、その後何度か引っ越しをして、三人のお子さんはそれぞれ立派に巣立ち、郊外の大きな家に、のんびりと暮らしているとのことです。メールのやり取りは続き、伺ったあちらでの生活は<家の地所から緑の丘が続き、遠くに山も見え、お隣の地主さんの羊や馬が放牧されて実にのどかな自然に囲まれている。夜は丘に面した部屋で、きらめく星、煌々たる月の光を浴びて眠る事がでる>とのことで、読みながら絵を描くようにイメージが広がり、清々しい新鮮な空気が流れてくるようでした。一本の電話から思いがけないことになりましたが、誘われるままにこの九月に、ヴェネチアビエンナーレの取材を兼ねて、フライブルグを三十年ぶりに訪ねることになりました。
スポーツ観戦は楽しい。オリンピックだ、世界選手権だ、○○大会だと聞くと反射的に胸が騒ぎます。先日、東京ドームで野球を見てきました。熱心な野球ファンというほどではありませんが「巨人・大鵬・卵焼き」の世代なので、小さい頃からずっと、テレビで観る野球と大相撲が生活の中にありました。球場は広く、ファインプレーに感心し、鳴り物の応援に興奮しました。
昨年の夏、個展開催でロサンゼルスに行ったときにも、本場の野球を見てみたくて、ドジャースの球場でナイターを観戦してきました。日本では近年、サッカー熱もあり、以前ほど野球に集客力がないようですが、現地で見たアメリカ野球の徹底したファンサービスには驚きました。美しく整備された球場の中では、とにかく試合のはじまる前から終了するまで、あらゆる方法で観客とゲームとを一体化させていました。
もうだいぶ前ですが、日本で世界陸上選手権を開催した折に、連日テレビで見ていたら、どうしても本物が見たくなり、国立競技場に出掛けました。そこで、カール・ルイスの走る姿、ブブカの棒高跳びを目の前で見て、競技に向かう繊細なまでの気配りと、重圧に負けないよう鍛えてきた精神力を肌で感じ感動しました。
スポーツで鍛えられた肉体の限界を使い、真剣勝負をしている姿を見ると、こちらもつい力が入ってしまいます。まったく分野が違うので同じ様には考えられませんが、絵を描くことにも似たような要素があって、日々、自分の眼で考え、眼を鍛え、休まず手を動かし、実際の制作段階でまた考え悩み、毎回新作ごとに自分との真剣勝負をしていくという過程を踏んでいくので、スポーツで常に自分のもてる力の限界に臨んでいくという姿と共通点があり、日々の努力が見えてきて共感がもてます。
今年はサッカーがアジア予選で勝ち、来年ドイツで行われるワールドカップに出場が決まりました。これからまたテレビの前に釘付けになりそうです。
会員の方は、いつ、どこで、誰と、どのように「伊吹嶺」を読むのでしょうか。私の場合を書いてみましょう。帰宅すると食卓のテーブルの上に、その日の郵便物が置いてあります。自分宛のものをその中から選り分けるのですが、伊吹嶺の封筒を見つけると嬉しさと共に、ひと月の時間の早さが頭をかすめます。夕飯が終わって、家族がまだ席に着いているときに開封します。表紙を見て、月を確かめ、表紙裏頁の句と解説を一読。「伊吹嶺」の始めの頁に相応しく、清められる感覚です。栗田やすし先生の作品の頁に目をやります。風格のある作品が並んでいます。かつて先生が大学にいらした頃、難しい漢字が読めないので句の意味がわからないのですがと恐る恐る申し上げたら、先生はきっぱりと「そういうときは辞書を引くのです。」と答えられ、「はいっ!」とばかりに緊張して答えたことがありました。最近の「伊吹嶺」には、ふりがながふってあるので、取り敢えず、音で捉えられるようになり、句の途中で止まってしまうことは少なくなりました。しかし、やはり俳句の言葉使いはとても難しいです。
そうやって眺めるように読んでいると、家族が次々に見たいと言うので回し読みです。次の日からは鞄に入れて、通勤電車で続きを読みます。持ち運びしやすい手頃な大きさなので、頁を開いていると、隣人も気になるらしく、視線が頁にささってきます。心持ち頁をゆっくりめくりながら鑑賞します。それで、主宰動静、後記まで、だいたい読み終えることになります。
毎号感心するのは、作品鑑賞の文です。「伊吹嶺」会員の方は、ここを読んで勉強していらっしゃるのでしょう。私などは、なるほどとか、そうなのかと思うばかりです。俳LANDは、色付き頁で、全体の編集が引き締まっています。いくつか寄せられている随筆も勉強になります。楽しみなパリ便りがお休みだと少しがっかりです。
頁数も初期の倍以上になりました。投句される方、編集者に敬意を表して、隅々まで読ませていただいています。
腕時計
つい最近、電波腕時計を買いました。なんでも、夜中に日本の何処かから電波が発せられ、それを受けて正確な時間に自動的に修正しているのだとか。十万年に一秒の誤差だそうです。イメージが湧かないくらい遥か太古から現代に至るまでの時間に「イチ」というだけの誤差。そこまで正確な時間を身に付けている必要があるのかと、友人に尋ねられましたが、仕事で、年に二、三度正確な時間を必要とするぐらいで、正直言うと、七時のニュースと共に時計の針が合っていたら気持ちがいいだろうなと言うくらいのものでした。
人が身につけて使う物で、最も小さいものと言ってよい腕時計には、時間さえわかれば良いと、実はそれほど関心を持っていなかったのですが、十年ほど前に、かつて時計のデザイナーをしていた方にお目にかかったときに、その方の雰囲気に何とも合った時計をなさっていて、腕時計の話を伺ううちに、今や腕時計はファッションの一部だという考え方を話され納得しました。
私が初めて自分の腕時計を持ったのは、中学入学祝いに叔母が買ってくれたものです。もちろん手巻きで、リューズを毎朝、向こうへ手前へと何度も巻きました。その後、腕時計もアナログからデジタルに変わった時期もありましたが、数字で今だけの時間を見せられる感覚になじめず、アナログを通しています。時計は、その時間を知りたいだけでなく、あと何分あるかとか、何時間後かとか、おおざっぱに時を把握したい事の方が多いように思います。
現代の若者は、携帯電話の時計で用を足らすらしく、腕時計をそれほど必要としていないようですが、私は、時計を忘れて出掛けて、一日に何度も、時計のない手を見る動作をしてしまい、苦笑する事があります。かつて、クオーツになってから、小さな電池が入り、時計から音が無くなりました。締め切りに追われる仕事をしている私の一番ほしいものは、実は正確な時計より、時間を気にしない静かな時間なのですが。
戸外で
美術作品の多くは、絵具や素材の性質からいって、美術館や室内で鑑賞する機会が殆どですが、秋の日、戸外で作品のことについて考えるということが続きました。
ひとつは、山口県の宇部市常盤公園で隔年に開かれる、日本で最も歴史のある野外彫刻の展覧会である現代日本彫刻展。もうひとつは、ゴッホが死んだフランスのオーヴェール・シュル・オワーズの村、あと一カ所は鉞担いだ金太郎で有名な神奈川県足柄での田園アート展です。
宇部の野外展は、歴史があるだけに緑と湖の整備された敷地に、整然と質の高い作品が並んでいます。セメント産業の色味のない街の活性化に一役買った象徴的な大公園には、何トンもあるような大きな石の彫刻などが、空間の広さに負けないスケールで設置され、作者の作品にかける意気込みとスケールの大きさを感じさせています。屋内にはない、空と風と光と緑と広がりの中で、人間の情熱と手から生み出された作品が確かに大地と対話しています。
ゴッホの最期の地は、想像以上に穏やかで明るい村でした。弟テオとの書簡、画集、研究書を読んで、是非一度訪ねたいとずっと思っていました。描かれた教会、絵のようにカラスはいませんでしたが、鳥が群れ飛ぶ麦畑、階段のある風景、息を引き取った小さな屋根裏部屋など、そのどこに立っても、ゴッホが全身で感じていた情念や情熱はとてつもないものだと言うことがひしひしと感じ取れました。
ガイドツアーに参加した田園でのアート鑑賞は、自治体主導で開催したもので、作品が田んぼや公園、農業用水路、雑木林、史跡などに点在して設置されていました。作品を見ようと田んぼに入っていくと、保護色の蛙がぴょんぴょん跳ね出てきます。そばでは雀の大群がまだ刈り入れの終わっていない稲に群がっています。用水路に流れる水の中の音を聞く仕掛けの作品は、聴覚を刺激してゴボッ・ゴボッと心の奥を揺さぶります。
外を歩くことで、あまりに都市型生活者になっている自分に驚き、作品や自然から生気が与えられました。
歳時記
日本の絵画とはどのようなものかとずっと考えています。今やグローバルだ国際化だと言われていて、私自身も海外の国際展を積極的に見に行ったり、海外での作品発表を経験してもきましたが、外国を知るほどに、自分の中で日本を知っていなければという気持ちが強くなってきました。
海外に行くと、その国の良いところが目に付き、文化の違いからくちょっとした生活の違いが興味深く、憧れさえ抱くのですが、あちらの方と話しをすると、こういう点については日本ではどうかというような質問をよくされます。その時は、まるで自分が日本を代表しているかのように、背中で日本を背負って、日本をよく知って貰いたいという気持ちから、この言葉でこのニュアンスを正しく伝えることが出来るだろうかと慎重に答えを選んでしまいます。
日本は四季の一巡の繰り返しで独特の文化を育ててきました。この自然の気候風土が育てた感性は、私たちの五感を喜ばせて研ぎ澄まし、人間的に豊かにしてくれたように思います。日本の絵画の歴史も、仏教絵画を別にすれば、画面の中に和歌や詞書きと四季の草花などを一緒に描いたやまと絵から始まり、絢爛豪華な障壁画などの変遷を経て、装飾的だとか平面的だとか、あるいは思想が感じられないとか、いろいろと言われてきましたが、よく観察する眼と、小さい画面に独特の間を取り、空間としての広がりを感じさせるのには非常に優れていると思います。
四季というキーワードから、歳時記というものが知りたくて、栗田先生より以前にご紹介いただいた『カラー版新日本大歳時記』(講談社)を折に触れ眺めています。時候、天文、地理、人事、動物、植物、行事、忌日の項目に、美しい日本語と写真や図版が載り、つい魅せられて時間が経つのを忘れてしまいます。新年と四季にわたる五巻から、日本人の細やかな感情が俳句で伝わってきます。
美意識や生活感情を、画家の眼で何か書けないかと、3年半試行錯誤の「点景」でした。今号で最終回となりました。ありがとうございました。
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