2009年10月
3年半ぶりに「伊吹嶺」に書かせていただくことになりました。画家として、自分の眼で見た日々の生活や、そこから生まれる感情や美意識を、また「点景」という形で進めさせていただきます。その間「伊吹嶺」には新しい会員の方々が入られて、「点景」なんて知らないと思われた方は、主宰に許可をいただいて私のホームページ(「伊吹嶺」のホームページにリンクされています)に、随筆という形で載せておりますのでお読みいただければ幸いです。
最近また「伊吹嶺」ホームページを見てみました。近年のますますの充実ぶりに、見ていてあっという間に時間が経ってしまいました。栗田先生は「伊吹嶺」の充実と発展のために、早くから強い意志と見識でいろいろな提案と試みをなされていらっしゃいますが、そのひとつがウエブサイトを活用するということであったと思います。いまやどの分野でもパソコンの中で繰り広げられる世界に無関心ではいられませんし、思いがけない繋がりや、広がりがあるものですから、この会の根幹をなす「伊吹嶺」誌と共に、会員の方々もどんどんホームページにも参加して、友人や知り合いの方々に大いに宣伝して下さい。
美術展覧会の分野でもウエブサイトで驚異的に入場者数獲得に成功したのは、今年行われた日本美術の展覧会で史上初の観覧者を動員した、東京国立博物館、九州国立博物館で開催された「国宝阿修羅展」です。展覧会を催すには、その企画の段階から様々なことが考えられて検討されますが、広告宣伝はたいへん重要で、通常ですと、ポスター、チラシ、新聞、雑誌掲載という紙媒体の形で進められていきますが、今回はこの展覧会公認という形で阿修羅ファンクラブというオフィシャルサイトが出来たので、日本人が最も好きな仏像のひとつに挙げられる奈良興福寺の阿修羅を、仏像にはそれほど興味がなかった若い世代がこぞって見に行く現象が見られました。
作句するのも絵を描くのも、実に地道な創作活動です。真っ白な紙に向かうだけではなく、新しい出会いにも興味を持って様々な場面で感じる眼を養っていきましょう。
2009年11月
今夏は、イタリアの教会でたくさんのモザイク画を見てきました。モザイクの技法自体は紀元前からあるものですが、今回見てきたのは中世のキリスト教美術を代表するもので、西洋美術史の本にはその当時の美術品を紹介するために必ず登場するものです。モザイク画の技法は、色石や色ガラス、タイルを五ミリから一センチくらいの四角い形に細かくして、それを原画に照らし合わせて、微妙な色彩の色石を選びながら並べ、セメント状のもので石と石の間を埋めていくものです。筆と絵具でさらさらと絵を描いていくような技法ではなく、色付きの実素材を使って、工芸品のように丁寧に時間をかけて制作していきます。東洋の水墨画のような筆使いで描く、ぼやっとした暈かしとか滲みとかの表現はこれでは難しく、素材感の強い、平面的で時が止まったような象徴的な感じがする絵画が表れます。
ヴェネチアのサンマルコ寺院内の金色に輝くドーム天井のモザイクは、ビザンチン美術の最高傑作といわれ、窓から差し込む強い太陽光線に本物の黄金の光が荘厳な感じで見る人に強く迫ってきます。教会の二階部分に上がって、間近で天井を見ると、十四世紀の工人の手の仕事が見えてきて、人間の力をひしひしと感じ、胸にずしんときます。
次に、優れたモザイク画がある教会が集中していることで知られるラヴェンナに行きましたが、ずっと昔から、美術本で素朴なモザイク画とその質素な外観の教会の写真ばかり見てきたので、小さな村だと思い込んでいました。しかし、実際に行ってみると、バスも発達している小都市という感じでした。今回、どうしても行きたかったサンタポッリナーレ・イン・クラッセ教会は、さすがに郊外の野原の中にぽつんと建っていました。そこで見た、教会の正面上部のモザイク画は、かつて見たことのない黄緑色を主色とした、長閑で心を開かせる面白味のあるものでした。
世界の絵画を見て歩いて来ていますが、今回本物のモザイクにふれ、絵画表現とは多彩なものだとあらためて表現の奥深さを考えました。
2009年12月
公共の場での音には配慮が必要ですが、街で流れる生活音に、ちょっとした思い出があります。最近の歩行者用青信号音は、歩行者が渡るときに、ピヨピヨという鳥のさえずりのような音が聞こえてくることがありますが、いつ頃までだったか、「通りゃんせ」とか「故郷の空」という曲が流れていました。その横断歩道を渡るとき、向こうからこちらに渡ってくる人を避けて通りながら、私は道を渡っているだけだという無表情を装って、実は心の中ではその「通りゃんせ」を歌いながら、もう一方では、どうもこの曲のスピードと歩調が合わないなあなどと考えながら「とーりゃんせ、とーりゃんせー、こーこはどーこのほそ」という当たりでだいたい渡り終えるのですが、それでもなお続く「みちじゃあー、てんじん、さまのほそみちじゃあー・・・」と、渡り終えたあとも耳はその続きを追って、頭の中で歌っていることがよくありました。そうすると、渡り終えた後ろの方で青信号の制限時間が近づいてきて、曲は途中で終わり、渡る人を急がせるためにピーコーピーコーという音に変わってしまいます。そういう日常のほんのワンシーンなのですが、ああ残念だな、「通りゃんせ」を最後まで聴きたかったと思うことがよくありました。
別の信号音の「故郷の空」には、また違った感情がありました。この曲は、私が物心ついた頃から家でよく母が口ずさんでいたので、テレビなどで誰かが歌ったものを聴いたことはないように思うのですが、いつしか自分でも知らぬ間に口ずさむようになって、「夕空晴れて秋風吹き、月影落ちて鈴虫鳴く・・・」とテンポよく歌ったものでした。ある時、その歌詞が感傷的なものだと気づいてからは、「故郷の空」というのはよいタイトルだと思えました。当時、歌詞の印象と曲が違っているので気になって調べてみましたら、曲はスコットランド民謡とのこと。だからと言うわけではありませんが、この曲の持っているある種の調子良さがこの歌詞を生かしているように思え、この曲の信号に出会うと、空を仰いで、心の中で懐かしく歌うのでした。
2010年1月
平成二十二年の干支は寅ですから、新年早々年賀状によって日本中を寅のイラストが飛び回りそうです。寅年というと、幼い頃、私自身がとても楽しく描いた虎の絵を思い出します。もし動物の名前を知っているだけ言いなさい、と言われたら、私はライオンの次に虎というのが出てくると思います。パンダとかキリンとかシマウマとか猿とか、もちろん身近な犬とか猫とか、人によっては何かしら思いを寄せる動物があるのではないでしょうか。というのは、私は小学生の時に動物を描く宿題があり、小さな町にある動物園に行って、どの動物を描こうかと歩き回った末、檻の中の二匹の虎が寝そべっている姿が気に入って、それをクレヨンで画面いっぱいに描きました。檻はきれいな緑色で、その向こうにだんだん陰が濃くなっているところに、こちらを鋭く威嚇するように見ている虎のうす茶色と黒っぽい縞模様が絵になると思ったのでした。顔を強調する縞柄は、年取った顔に見え、人を寄せ付けない威厳と風格に引きつけられて、子供心に何とかその迫力を出そうと、一所懸命工夫を凝らして描いてみました。今でもその光景を、もう一人の大人の私が見ているというような感じではっきりと思い出すことが出来ます。その絵は、全国の小学生動物絵画コンクールに出品する作品だったらしくて、後から上野動物園に飾られることになったと聞きました。作品は手元に戻っては来ませんでしたが、既に見られないだけに、あの絵は子供の絵としてはとても上手かったと記憶をどんどん美化してしまって時々思い出しては、その絵を見てみたい衝動に駆られます。
私の友人に動物ばかり描いている日本画家がいます。その方の最近の作品で、一匹の猿が、遥か悠久の彼方に視線を送っているようなポーズで、高く伸びた切り株の上で、すくっと立っている絵を見せてもらって、いっぺんで気に入ってしまいました。動物というフィルターを通して、人間の深い情感を描いていく絵は、子供の絵だからとか大人の絵だと言えないそれぞれに味わいがあります。
2010年2月
美術史の中で最も特異な美術品を創ったのは、紀元前のエジプトの美術であると思います。美術に詳しくない人でも、エジプトの美術品を見ればエジプトのものだとわかるくらい、五千年前のものがこの現代でも強烈な印象を与えています。
私は小学生の頃に、本からエジプトのことを知ったのですが、ハワード・カーターという人がエジプトの王家の谷で、ツタンカーメン王墓を発見したときの発掘記をワクワクしながら読んだものでした。それ以来、「エジプト美術五千年展」やツタンカーメンの黄金のマスクが日本に来たときは、本から知ったエジプトの本物が見られることを楽しみに出掛けました。
海外の有名美術館は、競ってエジプト文明の優品を展示して、ステータスを競っています。ロンドンの大英博物館には、エジプトのミイラも沢山ありますが、ロゼッタストーンという古代文字の解読に一役買った貴重な石があり、ベルリンの美術館には、首が細長い美しい王妃ネフェルト・イティの胸像があり、アメリカのメトロポリタン美術館では特別にエジプト館を作っているほどです。パリのルーヴル美術館には、五千年前くらいの蛇王の碑といわれる高さ二・五メートルの石碑や、当時の高官である書記座像があり、その堂々たる存在感は、人類の歴史と共に歩んできた重みを感じます。
では、何がそこまで特異なのかと考えてみると、例えば絵画の場合は人物の表現に規則性があることが挙げられます。簡単に言えば、顔は横向き、目は正面を見て、両肩は正面からの形を、腰から下は横向きというように、身体のそれぞれの部分の特徴的な形を優先させてつなぎ合わせています、このスタイルを紀元前の当時、二千年以上も変えないで継承してきたのですから、誰が見てもエジプトだとわかるわけで、美術品としてもはっきり印象の強いものになり、それらを創らせた王の権力がいかに強いものであったかが、美術品をとおしても理解出来ます。
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